日暮しのつぶやき

「美を求める心-Hommage to Frank Horvat-」

以前観に行ったフランク・ホーヴァットさんの写真展で一番心惹かれたのが、女性がジャムをつけたパンをちぎっている朝食の風景。

何の変哲もない日常の一瞬に「美」を感じ、シャッターを切る心性に惹かれました。またそれと同時に、当たり前にある「光景」の美しさへの気付きをもらいました。

これは小林秀雄が語る「美を求める心」。

「私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている…。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じることです。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。」(小林秀雄『美を求める心』より)

あるいは花森安治が実践した、「暮らしの中の美しさ」。

「お金やヒマとは関係がない みがかれた感覚と まいにちの暮らしへの しっかりとした眼と そして絶えず努力する手だけが 一番うつくしいものを いつも作り上げる」(花森安治『灯をともす言葉』より)

それらと同じ系譜の中にすっと入ってきました。

僕はやはり、「正しさ」なんかよりも、「美しさ」の方によっぽど惹かれる。

人の生というものを、ただ消費していくのか、その使い手として黙々と磨いていくのか。そこに正しさはなくて、「審美眼」で物事を見ていく力、そこにかかっている気がする。

自分の振る舞いが美しいのかどうか、ここで言う「美しさ」は単に外見的な問題ではなく、自分にしっくりなじんでるかどうか、納得できるものかどうかということだと思います。

「食べること」、「使うこと」、「書くこと」、そんな当たり前の暮らしの中を、もっともっと深く潜っていきたい。